人は、おそらくこの世界に何らかの役割を持って生まれてきているのではないでしょうか。
どうやら今回、私は作品を創るように生まれてきました。

私は幼い頃からずっと、本当の事が知りたい、と心の底から思い続けてきました。
そしてその答えは目に見えるところには、ありませんでした 。

人は多くの情報を視覚によって得ることができます。
けれども、その形に捕らわれすぎているような気がします。
例えば、人の心や気持ちはもちろん数字などで表すことはできませんが、
目には見えない人の「思い」は確かに存在しています。
また、科学は物の存在を絶対視しますが、人がなぜ生まれて死んでいくのか、さえ証明してくれていません。
何かの本質を知りたい時、その表面上に焦点を合わせるでしょうか。

しかし、目に見えないところに心の焦点を合わせると、
私の知りたかったことが見えてくるのに気づいたのです。
それは、ごく自然に訪れます。
ただ静かに自分の中を透明な状態でまっすぐ見つめ、その瞬間が降りてくるのを待つのです。
私は、その見えないものを見えるところに移しているのです。

制作に必要なのは、自分の感覚を研ぎ澄ますことだけです。
自分の感覚にとって、本当に嘘や偽りがないかどうか、長い時間をかけて作品と対話します。
朝から日が暮れるまで作品と向かい合う日々が続きます。
人の意識は日によって変化するものです。
その表面的なところに左右されて、良い悪いと感じるような作品であれば、
それはつまらないものではないでしょうか。
制作している時に感動で身体が震え、
掌に汗が出て心臓の鼓動が止まらないような作品は、
どんなに時間が経ってもその感動は変わりません。

人々は生きていく上で、その数と同じだけそれぞれが様々な考え方をします。
だから、その部分だけで作品を作っても他の人々に伝わらないばかりか、独りよがりになると思います。

私は、人々と共鳴できる共通の無意識に心の焦点を合わせて、
これからも制作していきたいと思っています。

2001年9月 鯉江真紀子